出発 |
11月8日(木)両手に荷物を抱えて関空に着く。重量オーバーはなし。座席も通路側を確保できたので、ハノイ迄の5時間も満席ながらも、楽な渡航であった。
乗換えのハノイで2時間余り過ごし、午後4時発1時間余でビエンチャンに到着。空港にはラオスアドバイザーの菊池正敏氏とJICA派遣員の熊井憲治氏の迎えを受け、滞在中のお世話になる。 |
柔道指導 |
到着翌日の11月9日(金)から出国11月13日(火)の午前中まで、合計7回の練習を行なった。練習会場の日本・ラオス武道センターは宿舎から徒歩5分の距離。ナショナルチームの選手達は男女とも高校生、大学生が中心。午前中の練習は朝にトレーニングを行なっているので、通常は10時30分から12時過ぎの練習。午後は曜日によって始める時間の変化を付けている様で、早い時は16時半から、金曜日は18時から。練習の内容は日本の平均的な方法と同じで、午前中は15名から20名程度が準備体操から寝技打込みや立技打込み、若手指導者による技の解説等。また、内股、払腰、背負投、体落等の技によって練習グループ分けを行なうなど選手達を厭きさせない工夫をしていた。
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選手達はかなり長期間、この武道センターで合宿生活を行なっている模様。基本的に東南アジアの人々はスリムで身長も低く格闘系の体ではなく、東アジアの中国、モンゴル等とは全く体型が異なる様に見受けられた。
ナーの愛称で親しまれているサラヤットさんは東南アジアのオリンピックとされる「シーゲイムズ」に2回優勝して天理大学を4年間で卒業した柔道優等生。彼女の言によると女子は筋肉がついて、女の子らしい服装が出来なくなるのが嫌な様で、筋肉トレーニングが大嫌いとか。
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実力は男子で日本の高校生レベルだが、彼らが何時かヤル気と強くなりたいと、切望すれば状況は変わって来ると思う。
ナショナルチームの指導は菊池氏が行い、熊井氏は子供や一般の練習生の指導を行なっている。派遣メンバーの珠玖氏、山本氏、望月氏の三氏は初日から意欲的にナショナルチームのメンバー達と練習をして、又、練習中にも相手選手へのアドバイスも適時に行なってくれた。白井氏は膝の調子が良くなく、寝技と軽めの練習を行なう事を指示した。
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男子選手の中で、若手指導者と練習を行って4人と互角に戦える選手は一人も居なかったが、遠征メンバーに技を指導を求める熱心さのある選手が居てくれた事が嬉しかった。
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総工費18億円の武道センターは柔道の使用だけでなく、多目的ホールで観客席もあり音楽の演奏会も出来る。柔道場としては窓が無いため風通しが悪く、道場に通風機を置いての練習となる。
他競技のテコンドーやレスリングなどとの共同使用。熊井氏のJICAの任期は13年9月、菊池氏はAUG大会までだが、13年シーゲームズを見据え、それぞれ再派遣、滞在延長の要請の可能性が高いとか。まさにシニアボランティアの鏡といえる。
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表敬訪問と寄贈品贈呈 |
11月9日(金)午後、日本大使館へ横田順子在ラオス特命全権大使を訪問し、当連盟の訪問主旨を伝える。大使館は警備が厳しく、改めて外国での対応の必要性を感じた。大使館で二等書記官兼警備対策官藤原正明氏を紹介された。福岡県警からの出向で、13日の練習に参加してくれた。
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11月12日(月)には、練習後の午後2時に教育スポーツ省エリートスポーツ局を訪問し、ラオス柔道連盟への寄贈式を行った。エリートスポーツ局センポン・ポンアマート局長へ日本からの寄贈品、ビデオカメラ、柔道着、スポーツ医薬品等を寄贈し、次の通りの謝辞を賜った。「この様な寄贈品を戴き心より感謝しています。今後益々両国の良好な関係が続く事を願っています。」
午後3時にはJICAラオスを訪問、戸川事務所長、米山次長、福村庶務課長の3人に訪問の主旨説明と実業柔道の今迄の活動の説明を行った。
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観光 |
練習の合間に訪れた市内のワットシーサケート寺院やタートルアン寺院の黄金色に輝いた風景は美しく思った。寺院建築の技術は素晴しく長い伝統が将来この国を支えてくれると思われる。
11日(日)にはナググム湖のダム見学に行った、想像していたより大きく湖を船で食事をしながらの舟遊びはのんびり出来た。
メコン川は乾期で水も少なく、川風に当たりながらの夕涼みは市民の憩いのひと時でしょう。13日には昼食後、戦没者慰霊塔である凱旋門に行った。
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練習後記 |
ラオスの11月は乾期。温度は昼間32度で、夜もエアコンが必要であった。朝食は簡単なバイキング。昼は菊池氏案内のラオスの食堂で。南国ラオスのフルーツジュースは一行を満足させてくれた。遠征メンバー全員で行ったマッサージは1時間600円程度。メコン川の夕日が美しいとのことであったが、山城団長と私は眺めること出来ず。
11月8日(木)ラオスに到着した後、菊池氏の案内でラオス柔道連盟会長主催の歓迎会(ウエルカム・ディナー)に出席。ケマサ会長が公務の為に不在で、カムコン事務局長と会長の令嬢のさとこビラバンデイット氏が出席された。
人々は穏やかで、車のクラクションは鳴らさないし、生活リズムがゆったりしていて、暖かく、又、フランスの植民地時代の雰囲気や建物があり、月5万円もあれば生活できるこの環境は、日本人には今後人気が出るような気がした。
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13日の搭乗手続きを行なう頃、ナショナルチームのメンバー達が沢山見送りに来てくれた。コーチの巨漢ケニカンや世話役のバリタの協力でハノイから関空迄通路の席を手配してくれた。子供達が決して豊でないのに、気持ちを込めた記念の品を感謝の言葉と共に貰って涙の出るほど思った。ハノイの空港で久々の日本食を食べて、全員幸せな気分になった。早朝6時50分頃無事関空に到着。何時もながら自分の国は落ち着くし、安心感で気持ちがリラックスする。
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若手の指導者達と一緒に滞在出来たことに感謝、又、彼らが指導の本質や楽しさを学んで貰えれば今回の派遣は成功であったと確信する。
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