生前お聞かせ戴いた所によりますと、故人は昭和5年1月1日愛媛県八幡浜市で出生されました。その後長ずるに及んで大阪に移られましたが、図らずも浜野正平先生のご近所に居住された縁で、浜野先生から柔道の手ほどきを受け、柔道に没入。終生、柔道精神をバックボーンとする雄気堂々の人生を歩んで来られました。故人の柔道に対する情熱は広く知られている通りであります。
社業におかれましては、若くして大阪コロタイプ印刷株式会社(現ダイコロ株式会社)の設立に参画され、同社を卒業アルバムのトップ企業に育て上げられました。加えて、同社は新入社員全員に柔道の修行を課し、全社員参加の社内柔道大会を開催するというユニークな社員教育が知られています。同時に、地域社会に貢献する目的で、ダイコロ武友館を解放して柔道教室を開き、青少年の健全な育成と柔道の底辺拡大に情熱を注いで来られました。又、故人はダイコロ株式会社の社長、会長として、オリンピック代表選手を輩出する等同社柔道部を、我国有数の強豪チームに育て上げられています。
さて、当連盟に対しては、会長就任に先立つ昭和60年2月、当連盟事務局を南海電鉄から引受けられ、武友館に事務局を構えて事務局専任体制を敷き、連盟の円滑な運営とその発展に心血を注いで来られました。任期中は、強力なリーダーシップで幾多の改革や創立40周年記念事業の実施等々輝かしい実績を重ね、当連盟の今日を築き上げられました。我々はその折々の故人の真摯な表情、又あの温顔を忘れることが出来ません。
しかし、今や空しく幽明を隔てて、我々は故人のご指導やその人となりに接することは叶わぬものとなってしまいました。とは言え、我々の使命遂行の活動は止むものではありません。即ち、故人のご遺志を継いで、当連盟が日本柔道の発展と柔道を愛する若者の人格陶冶に一層の役割を果たすことです。我々はこの決意を故人のご霊前に固くお誓い申し上げる次第であります。
松本会長、どうか安らかにご永眠下さい。ありがとうございました。 |