連盟創立四十周年記念式典祝賀会の席上、塩見猛先輩ら六人の功労表彰の一人として栄誉ある賞を頂き感激一入。昭和四十年二月にフットワークエクスプレス(当時=日本運送)柔道部が誕生した時、南海電鉄本社へ内田猛事務局長を訪ねてから三十五年の歳月が流れた。あんなこと、こんなことと、想いが駆け巡るうちに忘れられない一戦が脳裏に甦る。それは大会史上空前絶後の"死闘二時間の優勝戦"だ。現社名フットワークエクスプレス鰍ヘ平成二年からで、旧社名は日本運送鰍ナ日通(株)とよく間違えられたものだった。
昭和四十六年四月十八日、雨あがりに美しい若葉香る大阪城内市立修道館で開催の第十一回大会第二部(十段制、参加六十七チーム)の決勝戦でのこと。既に一部、三部とも全試合を終り、場内の目はこの一戦に注がれた。しかも対戦するのは前年度と同じ、新日鉄広畑と日本運送が審判をはさんで激しく火花を散らしていた。新日鉄広畑は富士鉄時代から3連勝中であり、日本運送は前年の雪辱で初優勝なるか。山本博主審の「はじめ」の声で決戦の火蓋は切られた。 以下記録と経緯
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<日本運送> |
1 |
: |
1 |
<新日鉄広畑> |
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(先) |
松永孝博 |
初 |
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衿絞め |
○ |
庄司誠一 |
2 |
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(次) |
荒木竜一 |
初 |
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× |
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朝比奈伸一 |
2 |
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(中) |
垣鍔久雄 |
2 |
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× |
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渡辺一男 |
2 |
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(副) |
三輪鐘一 |
3 |
○ |
大外刈 |
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新森新 |
2 |
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(大) |
田中義昭 |
3 |
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× |
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水谷久夫 |
2 |
先鋒戦双方優劣全くなく時間切れ引き分けかと思われたが、庄司立姿勢のまま不意を突く強烈な衿絞めで松永ダウン。次鋒、中堅ともに引き分けとなり副将戦に入り、三輪見事な大外刈で新森吹っ飛び同点。大将戦は田中優勢に攻め立てたが水谷巧みにかわして時間切れとなり代表決定戦となった。
試合要項には「判定の基準は全て「技有り」以上とし、優勝戦は勝負つくまで繰り返し行う」となっていた。延長戦はともにポイントゲッターと目される三輪対朝比奈の第一代表に始まり、一巡の第5代表も勝負決せず。本部席では龍村基雄理事長等が実力全く伯仲の両チームに優劣をつけるのはしのび難し、双方を優勝チームにしては如何か、判定基準を「僅差」にしては・・・の意見も出たが、ここまでやってきたのだから勝負つくまでと、更に延長戦は続けられた。
第六、第七、第八と息詰まる代表者戦は、時にヒヤリとする場面はあるもののお互いに決定技なく緊迫の度は増幅するばかりの中で、この日三度目の対戦となった垣鍔対渡辺の第九代表者戦となり、また引き分けかと、思った一瞬、ほんの一瞬垣鍔の体が宙に浮き、山本博主審は「技有り」を宣した。試合がはじまって二時間、遂に決着がついた。両軍選手達の健闘をたたえる観衆の拍手はいつまでもなりやまなかった。優秀選手選考委員会は異例ともいうべき、両チーム選手十名全員を優秀選手と決定した。また翌年から試合要項は大きく改定された。
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<代表者戦の記録> |
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<日本運送> |
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<新日鉄広畑> |
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第1代表 |
三輪 |
× |
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朝比奈 |
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第2代表 |
田中 |
× |
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水谷 |
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第3代表 |
垣鍔 |
× |
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渡辺 |
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第4代表 |
松永 |
× |
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庄司 |
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第5代表 |
荒木 |
× |
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新森 |
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第6代表 |
三輪 |
× |
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朝比奈 |
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第7代表 |
田中 |
× |
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水谷 |
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第8代表 |
松永 |
× |
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新森 |
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第9代表 |
垣鍔 |
優勢勝 |
○ |
渡辺 |
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※西日本実業柔道連盟40周年記念誌「温故躍進」から転載 |
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